2023年4月7日から11日の期間で、美学校の講座「アートに何ができるのか〜次に来る「新しい経済圏」とアーティストの役割を考える」の修了展「A Telescope (to See Place)」を開催します。
2023.4.7 [金] - 11 [火]
13:00-19:00(最終日17:00まで)
美学校
〒101-0051 東京都千代田区神田神保町2丁目20 第二冨士ビル 3F
東京メトロ半蔵門線・都営新宿線/三田線 神保町駅 A3出口より徒歩3分
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荒谷大輔 パフォーマンス
2023.4.9 [日] 16:00-
美学校の講座「アートに何ができるのか〜次に来る「新しい経済圏」とアーティストの役割を考える」の修了展「A Telescope (to See Place)」を開催する。
本講座の生徒/出展作家であるArisa ItoはVRヘッドマウントディスプレイを用いた作品、谷川真紀子は写真を用いた作品を制作しているが、二人の制作には共通してレンズという媒体が関係している。本展はこの偶然を引き受けて企画する。
レンズというモチーフは従来「見ること」の象徴として用いられてきたが、レンズの特性は見たままを写し出すことではなく、それを通すことで像の形を変え、色を変え、スケールを自在に操作できることにある。その操作は対象に対して直接作用するものではないが、レンズ越しに獲得される対象の新たな姿は、わたしたちの慣習的な認識を解体し別様に組み替えることがある。
南方熊楠の日記に「一八九四年九月二十二日 土 雨/ライプニッツの如くなるべし」という一節があるが、歌人の吉田隼人はこの一節について、天気と日記文の区切りを超えて『雨はライプニッツのように降る』と誤読することで、雨粒が周囲の景色を写し込みながら降る様にライプニッツの哲学的世界観を投影してみせた。ここで「読み違い」という行為は雨粒をよく見知った平凡な気象現象という像から解放し世界の在り方を問い直す起点へと変える。
こうした操作は、フーコーの言葉を借りると「文の統辞法だけでなく、言葉と物を共に支えるそれほど明確でない統辞法をも崩壊させる」ものだ。フーコーは場所/空間という次元において、そうした機能を持つ場所を「ヘテロトピア」と定義していた。場所とは社会的な権力構造が刻まれる空間であるが、ヘテロトピアはそうした他の場所に対して異議申し立てをする「反場所」であり、既存の空間を無効化し、転覆させるための抵抗の場所として構想されていた。
本展のタイトルである、遠くを見るためのレンズ「A Telescope(望遠鏡)」のアナグラムには「to see place」(場所を見るための)があるが、作品とは、そうした再構築を促すヘテロトピアのような「場所」を、わたしたちの目の前に現すことのできるレンズだと言えるだろう。
また、本講座は「アートに何ができるのか」という難問を抱えているが、修了するにあたってこのステートメントをひとつの応答として提出する。
(キュレーション:Arisa Ito)